観劇100本ノックの記録

1年間で100本の観劇を試みています。

【18本目】カムカムミニキーナ『ときじく~富士山麓鸚鵡鳴(22360679)~』@座・高円寺

コロナのために大阪公演が中止になり、東京の初日も中止となってしまったそうだ。今回もキャストが一人欠けていて、代役が二役を担っていた。

(かなり比重の重い役なので本当に大変だっただろう…!)

無事公演を再開できたのは良かったと思うし、観に行くことができて幸運だった。

 

 

あらすじ

紀元前221年、圧倒的な野望の力で戦国の中華をついに統一した秦の始皇帝は、死を間近にして、東海の彼方に浮かぶという神仙の霊山に不老不死の夢を抱き、奇跡の果実を探そうとする。


命を受けた方士ジョフツは三千人の童男童女を従え、歴史的大移民船団を仕立てて東の海へ漕ぎ出し、大航海の末、ついに日本の富士山麓にて不老不死の実『ときじくのかくのこのみ』を見つけ出したか、そうでないのか。その後、ジョフツは秦に帰ることなく日本に居座り、始皇帝は巨大墳墓の建造半ばで命果て、やがて秦はあっけなく崩壊する。

 

火を噴く古代富士山にまとわりつく、不老不死の伝説。
一方でその麓には、老いた命が捨て去られるという、帰らずの樹海の森が生い茂る。

 

消えぬ命と消える命。

 

謎めいた不死の山一帯には、時を越えて、命のやり取りがなされる不思議な時空の洞穴が今も存在する。

その恐ろしき吸引力が、いつの時代も、童男童女達を奇しき哀しき運命に誘うのだ。

 

キャスト

作・演出
松村 武

 

出演
八嶋智人 山崎樹範 藤田記子 亀岡孝洋 田原靖子 長谷部洋子 未来 柳瀬芽美
渡邊礼 スガ・オロペサ・チヅル 福久聡吾 元尾裕介 栄治郎 梶野春菜
内田靖子 赤名萌 宇留野花 河口勇太朗
松村武

 

感想 ※ネタバレ注意

舞台をコの字に囲んで、3方向から見られるようになっていた。

ステージは3段か4段に積まれていて、背景には布をつぎはぎしたような素材でできた大きな山(富士山)が!こういう手作り感のあるセットがとても好き。

 

富士の山麓を舞台に、姥捨山と、始皇帝時代の不老不死の夢が交錯するお話。

 

舞台となったその場所には姥捨てのしきたりが残っていて、80歳になった親を富士山に捨てにいかなければいけない。

捨てに行くまでの儀式や、聞かされる掟、色を変える富士山のシルエット、崖や藪を表す棒、そして暗闇を表現する照明など、匂いや気温まで伝わってきそうでとても引き込まれた。

富士山の不気味さと荘厳さが舞台を通して見えて、まるでそこにいるかのような感覚に

舞台上で鳴らされる楽器の音も良かった。

学生時代に行った、タイの山での儀式を思い出した。

 

最終的に、物語の冒頭で捨てられた二人の老人(バンブーとはじめ)は、秦の時代に不老不死の果実を求めて日本へやってきた船団の一員だった。

山に捨てられるたびに、その果実がなる木を見つけて果実を食べ、生まれ変わっていたのだと理解した。

 

印象的だったのはこのセリフ。

「不老不死の実は、望まない人の前に現れる」(すみません、ニュアンスです)

本当に望む人の前には現れず、望まない人の前に現れるとは、なんて残酷なんだろう。

つまりこの二人の老人は、不死なんて望んでいないのに、永遠に生きながらえてしまっているということなのかな…。この辺りでは少し「ポーの一族」を思い出した。

姥捨ての習慣がなくなれば、二人はここに捨てられることも、果実を見つけることもなくなり、不死の人生を終えることができるのだろうか?

 

富士山の樹海は自殺の名所として良く知られているので、近寄りがたい、恐ろしいというイメージを持っていた。この舞台を観て、そのイメージがさらに膨らんだように感じる。

生きることを望まない人の前に不死の果実が現れるのだとしたら、樹海でそれを食べ、今もこの世を生きている人がいるのかもしれないと思ったりもした。

ありえないだろうけど、そんな生と死の狭間の空間があってもおかしくないような気はしてきた・・・

想像力が膨らむのは楽しい。舞台を観る醍醐味の一つでもあると思う。

 

こういった、時空を超えて物語が展開するストーリーを見るたびに、一体どこからこういった発想が生まれるのか、まいったという気持ちになる。とても気になるところです。

 

カムカムミニキーナの公演は今回初めて観たが、これまた声の良い人ばかり。バンブー、ジョフツ、カラス、おばあ、そのほかも。

 

最後の挨拶「助けてください」が切実で心が痛くなった。コロナのあおりを受けて本当に大変だと思う。

最後まで無事公演ができますように。また観に行きたい。